沖川守氏著『紺碧の海』発刊

okikawa-portrait.jpg

konpeki-no-umi.jpg

本書概要

 我が国の戦後復興並びに高度成長の一翼を担ってきた海運、その一端を支えた船員社会で働くこととなり、一本道ではなかったが全ての勤めを終えたとき、乗船体験記を書いてみようとして、平成18 年から資料や写真の整理を始め、就職して最初の船「那智春丸」からスタートした。
 書き進める内に太平洋戦争から敗戦、また戦後復興から高度成長、そしてグローバル化する経済構造の中、日本人船員を取り巻く環境も厳しく変化し、国際競争力の回復のため減量と体質改善が強く求められる環境の中でおかれた。
 勤めを終えるに当たり、大きな変革の波に曝された、幼少時から商船学校卒業までを加え、結果的には出生から全ての勤めを終える70 年間を、自分中心とした流れではあるが大略を書くこととなった。
 何回か見直し、本給や身体記録に加え当時の主要な出来事を併記して、個人的な足跡と時代背景の変遷も見るように試みた。
 執筆を進める中で新日本汽船に同期に入社した鳥羽商船卒の増田信氏の協力を得て、同じような環境の中で同一航路に就航していた時代に撮影された、同氏の写真集より数点の使用もさせて頂き、加えて校閲も得て完成することができた。
 印刷発刊を検討しているとき、山縣記念財団の宮都讓前理事長とお話しする機会があり、戦後海運と共に生きてきた一マリンエンジニアの記録として面白いとの評価を得て、同財団のご支援を受け発刊できるはこびとなり重ねて感謝を申し上げます。                     (以上 著者あとがきより)

 8月発行後、海事関係団体・大学図書館・個人などに配本しました。関心をお持ちの方、購読をご希望の方は、残部些少ですが、下記までe-mail又はお電話にてお問合せ下さい。

 財団法人 山縣記念財団(担当 郷古)
 TEL: 03-3552-6310
E-mail: t.goko@yamagata.email.ne.jp


本書内容

  • Ⅰ 幼少期
  • Ⅱ 小・中学校期
  • Ⅲ 大島商船学校
  • Ⅳ 新日本汽船株式会社
  • Ⅴ 山下新日本汽船株式会社
  • Ⅵ ワイエスエンジニアリング株式会社
  • Ⅶ ワイエス海運株式会社{(株)シーワード}
  • Ⅷ (社)日本船舶機関士協会
  • Ⅸ 関係団体への関与
  • Ⅹ あとがき
  • 資料

著者 沖川守氏の略歴

1934年(昭09) 山口県生まれ

1955年(昭30) 大島商船学校(現大島商船高等専門学校)機関科卒業

1956年(昭31) 新日本汽船(株)機関士として入社
           主として北米大陸、アジア地域に就航する貨物船に機関士として乗船勤務

1964年(昭39) 会社合併により、山下新日本汽船(株)に商号変更
           2年間の船員親睦会(職場委員)陸上勤務を挟み、主として専用船、タンカーの1等
           機関士として乗船勤務

1975年(昭50) 海技部 海技二課課長(陸上勤務)

1979年(昭54) タンカー、自動車専用船・撒積船に機関長として乗船勤務

1981年(昭56) 船員部 船員第2チーム チームリーダー(陸上勤務) 1984年 次長
           1987年 同社退社

1987年(昭62) ワイエスエンジニアリング(株) 取締役管理部長 1988年 同社退社

1988年(昭63) ワイエス海運(株) 取締役総務部長

1991年(平03) 会社合併により、(株)シーワードに商号変更 常務取締役就任
           1994年 取締役社長を経て同社退社

1994年(平06) (社)日本船舶機関士協会に研究員として勤務 1999年 理事

2004年(平16) 全ての勤務を終える                    

2005年(平17) 大島商船高等専門学校 同窓会会長(2期4年)

以上