“はじめに”

「山縣記念財団」は、遡ること70有余年の昭和15年(1940年)、辰馬汽船の基金提供をうけ、「財団法人辰馬海事記念財団」として神戸の地に設立されたのが始まりです。その後、占領下での制約や財閥解体もあって、財団の名称は「辰馬海事文化研究所」、「海事文化研究所」と変わり、昭和39年(1964年)から現在の「財団法人山縣記念財団」とし活動しています。また財団は基本理念を表わした憲法ともいえる「寄付行為」の下で運営してきました。
辰馬汽船のルーツは350年前の寛文2年(1662年)、辰馬本家酒造による清酒「白鹿」の醸造に遡ります。灘は古くから銘酒「灘の生一本」を産するところとして知られ、清酒の一大消費地であった江戸に向け、大量の清酒が運ばれました。その輸送に使用されたのが「樽廻船」でした。辰馬本家酒造も灘の酒造家の一つとして栄え、江戸に清酒を輸送するために自ら多くの「樽廻船」を擁し、海運業そして、関連する海上保険業にも進出していきます。
辰馬汽船も長い歴史の中で、新日本汽船、山下新日本汽船、ナビックスラインそして商船三井と合併などにより社名が変わり、保険業でも辰馬海上火災、興亜火災、日本興亜損保、そしてこの度の新社名損保ジャパン日本興亜と変わって行くことになりました。
70年史の発行は350年という長い歴史の中で、いまや辰馬汽船、新日本汽船はもちろん、山下新日本汽船(Y S LINE)のことなども徐々に人々の記憶から薄れて行きつつある中で、当財団としてなにか残せないものかと考えたのがきっかけでした。当財団も「新公益法人制度改革」の施策の中で、この度「一般財団法人」としての財団運営を選択し、内閣府よりその認可を受け、平成24年(2012年)4月1日から「一般財団法人山縣記念財団」として、新たに作成した「定款」に従って再スタートすることになりました。長い財団の歩みの中でもまさに大きなターニング・ポイントであります、そこでこれを機に、このような冊子「海、船、そして海運―わが国の海運とともに歩んだ70年―」を作成しました。
この冊子の作成にあたり留意しました点は、読まれる方々にとって興味のある部分だけでも拾い読み出来るよう、よもやま話風にそれぞれの話を独立させて掲載していることです。また海、船、海運などが中心の話題ですが、いろいろと興味をもって頂くために「トリビア的な話」の掲載もしております。つまり、われわれ財団の歴史などを縦軸にしていろいろな雑学にも話を展開し、そして海運関連の事柄に知識と興味をもっていただくことにより、われわれ財団の活動にもご理解をいただければとの思いであります。なお、本書の刊行にあたり、いろいろとご尽力いただいた海事プレス社の横田実様にはこの場を借りて感謝申し上げるものです。

平成24年(2012年)9月

一般財団法人 山縣記念財団 理事長 田村 茂